生きること人生のことなど道しるべが欲しい時には「宮司のいい話」

生きること人生のことなど道しるべが欲しい時には「宮司のいい話」

札幌八幡宮のホームページの中に、「ミニ講和 宮司のいい話」というページがあります。

札幌八幡宮の宮司である菊池重敏さんの講和がすべて読めるようになっています。

日々の生活で、自分って何?生きることの意味って何?どう生きていくべき?など、普段深くは考えなかったことが頭から離れない時は読んでみると役に立つはずです。

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心の中がすっきりしない時に生きるヒントになる

 

例えば189話を引用してみます。「誰もが知りたい謎」

 

 

NO.189  誰もが知りたい謎

 

 普段何げなく生活している中に、人間はどう生きたらいいのだろうか? 何をしたらいいのだろうか? ふと考える時があります。そんな時、人間は何を求めて生きているのだろうか? と考えてみました。お金も大切ですが、まず第一に求めることは、健康だと思います。その次に、お金に困らない生活の安定だと思います。三番目は、対人関係で苦労しないようにと願う、人間関係の円満だと思います。四番目は、心の安らぎの持てる生活だと思います。

 人によっては、金もうけが一番、出世が一番と考える人もいると思いますが、まずは、この四つのことが人間として、誰もが求めることだと思います。

 それでは、この四つの願いを叶えるためにはどしたらいいのか、一緒に考えてみましょう。

 まず第一の健康であるためには、日々身体に良いことを心掛けなければなりません。

 適度な運動と、暴飲暴食を控え、腹を立てたり、くよくよ心配したり、考え過ぎたり、悲しみ過ぎては心を痛め、身体をこわしてしまいます。良き方向へと考え方を変える、適度な心の切り替えが必要です。健康を保つためには自分の好き勝手をしてはいけません。

 第二の生活が安定するためには、満足の心を持ち、自分の収入に合った生活を心掛けなければなりません。十万円の収入の人は、十万円の生活をしなければなりません。二十万円、三十万円の生活をしている人の真似をしていたのでは生活が成り立たなくなってしまいます。まだ足りない、まだ足りないとむさぼる人は心の貧しい人です。たとえ貧乏をしていても、ほどほどの良さを尊しとして、満足の心を持てる人は、程度はいかにあれ、生活の安定している人なのです。人と比べて不平不満を言うのではなく、自分の現状に満足と感謝の心を持てる人に生活の安定が与えられるのです。不平不満の心では、いくら恵まれていても生活の安定は持てないのです。

 第三の人間関係が円満であるためには、ことわざに、「良き友を得るにはまず自分が良き友となれ」とあるように、良き人間関係を築くにはまず自分が良き人間関係を実践していかなければなりません。好き嫌いで人を差別したり、人の悪口や陰口を言ったりすると、やがては自分も同じようにされます。人の悪い所を見ず、良い所だけを見るように努力すれば、今まで気がつかなかった所に気づき、良き人間関係が築かれてきます。相手を好きになることが大切です。人それぞれに思想や価値観、性格や感性が違います。そうした人と人との色々なめぐりあわせ、出会いを楽しむ心を持つことが人間関係を円満にする秘訣になろうと思います。自分だけの狭いカラに縮こまっていないで、心を外に大きく向けることにより、イヤな人でも受け入れ、ゆるせる広い心となります。そうすれば自然と人間関係がうまくいくようになり、円満に誰とでも付き合えるようになります。こだわる心を捨てましょう。

 第四の、心の安らぎを持った生活をするためには、喜びに満ちた生活でなければなりません。健康で生活が安定し、人間関係が円満になりますと、最後に求めるのは心の充実です。心が満足するためには、心が真に求めるものを追求しなければなりません。目先の喜びではなく、心の奥底からわき上がる、本当の喜びです。

 我々には、人それぞれの特質があります。この世の中に何十億の人がいても、自分と同じ指紋の人は一人もいないそうです。それと同じように、人それぞれに自分独自の性質を持っています。その性質を生かせる道を求めることができたとき、人は心からの喜びを感じるのではないでしょうか。

 心からの喜びを感じることが、一生続けていける仕事であるならばこれに優るものはありません。しかし、例え趣味の世界であろうと、心の奥底から喜べるものに出会えた人は、満足を覚え、感謝の生活を送ることができます。感謝の心は素直な心を呼び起こします。素直な心とは、我をはらない心です。自分一人の力で生きているのではない、大自然の恵みの中に、大勢の人達の支えの中に、自分は生かされているという謙虚な心です。

 謙虚な心・素直な心・感謝の心からは、人のために何かをしてあげたいと思う奉仕の心が芽生えてきます。自分のためにではなく、他人のために、社会のために、人類のために尽くす奉仕の心は、人間の本来の心が求めるものです。

 ですから、我欲を捨て、奉仕に生きる喜びが持てたとき、心の奥底から喜べる本当の喜びを得ることができるのです。人間とは、誰かのために何かをしてあげたいと思う存在なのです。人間本来の存在意義を悟り、実践を行うところに、真理の喜びがあり、こころの充実となって、心の安らぎを持った生活ができるのです。

 人生の幸、不幸は自分の心が決めることです。幸福になれるよう、我欲の心のチャンネルを奉仕の心のチャンネルに切り替えていきましょう。

引用:ミニ講和 宮司のいい話  http://www.hachimangu.com/cgi/kouwa/kouwa.cgi?mode=one&namber=189&type=0&space=0

いかがですか。

生きるヒントになりましたか。

 

私もこういうことを読む側ではなく、話せる側に早く立ちたいものです。

自分自身でクリアしているのは、辛うじて第一の健康という願いでしょうか。

第二は自分自身だけだと路頭に迷うランクに下がりますが、夫が支えてくれているので願いが叶っている状態。

夫に感謝!

できることなら自分でお金を生み出し、社会に貢献したいと考えます。

 

私はといえば、10代の前半頃から、生きるってどんな意味があるのか、人生ってどんなふうに生きればいいのかなど、生きることへの疑問や不安などを解決するため、また、視野が狭くて社会のことがよく分かってない自分が少しでも成長するために、当時は今のようにすぐに答えが見つかる環境ではなかったため、図書館から本を何冊も借りて読み、答えを探していました。

でも、答えは見つからず、凝り固まった考え方の域から出ることができず、悶々としたまま、10代、20代を過ごしました。

心の中の悩みをサラッと親に話せるような、親子の関係ができている人は羨ましいです。

悩みができても真っ先に親に相談してアドバイスを受け、それが支えになり、明るく生きていける心の強さにつながっていくのでしょうね。

私の両親は問題を家族で解決していくという考え方ではなく、問題は自分で解決して家の中には持ち込まないことを良しとする考え方だったので、すでに物心ついた頃から、「困らせることは言っちゃいけない」と思い込んでいましたね。

こういう家庭は意外と多いのではないでしょうか。

はたからみれば、何も問題ない幸せな家庭に見える。

でもそれは、家族それぞれが心の闇を抱え込んで、幸せに見える家庭を維持しているような状態。

 

違和感感じながらもこれが普通だと思っていました。

 

同じような家庭環境でも、「自分が自暴自棄になっていたとき、自分のことを見放さずにずっと自分を励まして、関わりを持ってくれた人がいたから今の自分がある。」という、助っ人の出現があったことをネットや新聞などに載せている方がいます。

そういう方は、今は会社を経営したりなど、社会に何らかの形で貢献している方。

以前の自分はこんなにだめだめだったけど、今の自分は社会に貢献できる立場になったという成功談。

こういう方の回想録を読むたびに、「私は全く誰も。SOSを発していたのに。親も、関わりがある人も誰も助けてくれなかった。あのとき、なぜ誰も助けてくれなかったんだろう。助けてくれていたら・・・・」

こんなネガな心境になってしまう自分がいるのですよ。

あ~いやだ~。

こう思うことこそ、人生の課題を乗り越えていないことの証で、どうにかしないといけません。

 

私は早くコメントを載せたい。

「あの時あの人がああいうことを言ってくれたからとか、あの出来事があったときに自分を支えてくれた人がいたから今の自分があると言われる方がいます。でも、私はそうではなかった。私は一人でした。一人を受け入れ、自分で道を拓き、ようやく今の自分があります。」と。

 

今はネットがあるので、迷った時、悩んだとき、一人でも解決しやすい環境が整っています。

心の中は常にすっきりさせておくのが一番いい。

誰にも相談できずどうしていいか分からなくなった時、道しるべが欲しくなった時にはこのサイトも読んでみてくださいね。

札幌八幡宮「ミニ講和 宮司のいい話」 http://www.hachimangu.com/main_news.htm

 

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